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きぼうの桜計画進行中!

東日本大震災の教訓を千年後まで伝えるために、
宇宙からも見えるような巨大な桜を津波到達点上に植える
それが「きぼうの桜」事業です

<計画概要へのリンク>

世界観さえ変えてしまった2011年3月11日の大震災と津波。
しかしその直後の世界中からの支援を思えば、この未曾有の不幸は、この星がひとつに結びつく、史上稀な機会であったのかもしれません。
私たちはいま、幾多の御魂の志を受け継いで、
再生のための行動を起こさなければなりません。
机上の議論はもう結構! 行動です。

ここに、遙か宇宙を旅して、なお健気に生き抜く日本の花たちがあります。 2008年、日本三大桜など、千年級の巨大桜の種が、その土地の少年少女の手で集められ、国際宇宙ステーション「きぼう」へ旅しました。
有人宇宙システム(JAMSS)様が実施した「花伝説・宙へ!」という空前の社会貢献事業です。
若田光一宇宙飛行士とともに宇宙を旅した種は、地上帰還後「宇宙桜」として芽吹き、花咲き、いのちの美しさを私たちに伝えてくれます。

宇宙桜、それは31世紀まで咲き誇る日本最高の桜群団。
ワンアースはこれを受け継ぎ、宇宙桜の苗を復興各地に贈り、次のような意味で役立てていただくための準備をしています。

1)恒久的な避難のランドマーク
・巨大な宇宙桜が安全圏を示す。千年以上生きる宇宙桜は、コンクリートや道路標識よりも息長く、次の災害までその役目を果たす
2)希望のシンボル
・尋常でないその生命力は、観る者に生きる力を与えてくれる。花の時期のみならず、葉の時期も鑑賞できる
3)観光資源
・宇宙桜は日本の宝物。巨大な偉容と稀少性があいまって、やがては交通渋滞が起こるほどの観光名所になるであろう。さらに、各市町村を繋ぐ東北海岸での宇宙桜巡礼路が完成する
4)新しい地域交流
・贈呈元との新たな絆が生まれ、青少年・市民レベルの地域交流が興る。数千年続く文化事業、そして新たな伝説作りの1ページとなる

再生日本の夢と勇気のシンボル、それが「きぼうの桜」なのです。

現在、この計画の実施を決定している復興地は次の通りです(北から)。
岩手県洋野町
岩手県野田村
岩手県普代村
岩手県田野畑村
岩手県山田町
岩手県釜石市
岩手県大船渡市
岩手県陸前高田市
宮城県気仙沼市
宮城県南三陸町
宮城県女川町
宮城県石巻市
宮城県利府町

このほかの東北三県の市町村も、実施をご検討中です。
下記リンクから、宇宙桜の母樹の壮麗な姿をお楽しみくださいませ
<宇宙桜の母樹たち>

震災、まっ先に助けてくれた台湾

台湾は隣の国、
そして、日本が大好きと言ってくれる国
東日本大震災のとき、
真っ先に助けてくれた国
必見★台湾でのチャリティー動画

s天佑台湾プログラム

天佑台湾
台湾と日本の友好を記念したユニークなコンサートが仙台で開催されました
台湾の父ともいえる鄭成功をモティーフにした物語
満席の会場は熱気に包まれていました

s天佑台湾舞台

台湾が昔日本の一部だったことを知る人も、減ってきたのではないでしょうか
その昔(第二次大戦前)日本の国費の何割かは、台湾の近代化に注がれ、
八田與一、新渡戸稲造など優秀な人材を台湾に送り込み、
インフラや農業振興に貢献したのです。
このことが、現在の台湾市民の皆さまの中で、日本神話に繋がっているのでしょう。

観光立国を標榜する日本
最多の観光客は台湾からやって来ます
日本が大好きだからです
たいせつな隣人ですね

思いを胸に、普代村キャンドルナイト

2016年3月11日 夕刻
岩手県普代村のキャンドルナイト

「3.11 思いを胸に 普代の未来に伝えたい」
メッセージと、キャンドル配置は中学生が考えたそうです

村民の放った数百の風船は見事に舞い上がり、
海に向かって飛んでいきました

気仙沼の悲恋伝説

義経に 髪を埋める 皆鶴姫

平安の京
許されぬ恋の末、引き離された二人
義経は平泉へ、そして姫は罰を受け、ウツボ船で流されます。
ウツボ船とは、窓も戸もない密閉された舟。

閉じ込められた姫は京から川で海へ、
そして黒潮に乗り、長い年月を経て気仙沼へ。
そのときには既にこの世の人ではありませんでした。

雅な女性の亡骸が流れ着いたと耳にした義経は
浜に駆けつけますが時遅く、
変わり果てた姫を抱いて
ただ、号泣するしかなかったのです。

気仙沼市役所には
市民の方が作った
この物語の素晴らしい人形があります

ウタちゃんはしの孤独、南三陸町歌津地区

南三陸町歌津地区
奇跡的に津波に耐え残った「ウタちゃんはし」
しかし今、この橋を渡る人はいない
ここにあった集落は、もう無いのだから

2002年にこのあたりに現れたアザラシの子
いつかここへ戻ってくるのだろうか
そのときには、この街も復活しているのだろうか

(2016年3月11日)

あの日から5年

あの日から5年
あまりにも静かな夜明け
海は何も語らない

漁師はただ淡々と生業に励む
今日も、明日も、

2016年3月11日
宮城県南三陸町にて

震災5年、南三陸町の「聖地」防災対策庁舎は、

南三陸町

s防災対策庁舎と人々

はからずも、この町の名を全国に知らしめた防災対策庁舎
最後まで住民に避難を呼びかけ、そして流された殉職者たち

想像を絶する津波は
この庁舎の屋上をも越える高さだった

2011年以後、
巡礼者の尽きることない聖地であり、
東日本大震災の記憶を後世に伝えるモニュメントの役割も果たし続けてきたが、
周りの土地の嵩上げが進み、遂に、フェンスで囲われてしまった。
2016年4月以降は当分の間、近づくことも出来なくなるという。