台湾は隣の国、
そして、日本が大好きと言ってくれる国
東日本大震災のとき、
真っ先に助けてくれた国
必見★台湾でのチャリティー動画

天佑台湾
台湾と日本の友好を記念したユニークなコンサートが仙台で開催されました
台湾の父ともいえる鄭成功をモティーフにした物語
満席の会場は熱気に包まれていました

台湾が昔日本の一部だったことを知る人も、減ってきたのではないでしょうか
その昔(第二次大戦前)日本の国費の何割かは、台湾の近代化に注がれ、
八田與一、新渡戸稲造など優秀な人材を台湾に送り込み、
インフラや農業振興に貢献したのです。
このことが、現在の台湾市民の皆さまの中で、日本神話に繋がっているのでしょう。
観光立国を標榜する日本
最多の観光客は台湾からやって来ます
日本が大好きだからです
たいせつな隣人ですね

3月12日 朝の海
今日が復興のはじまり
これは地球市民に与えられた課題
みなさんの出番です!
<岩手県田野畑村にて>
2016年3月11日 夕刻
岩手県普代村のキャンドルナイト

「3.11 思いを胸に 普代の未来に伝えたい」
メッセージと、キャンドル配置は中学生が考えたそうです

村民の放った数百の風船は見事に舞い上がり、
海に向かって飛んでいきました
あの日から5年
岩手県田野畑村の追悼式に参加しました

子どもたちからのメッセージ
「わたしたちは震災のことをよく覚えていません」
「でも元気を出して復興していきましょう」

大人たちよ、本当にもう、しっかりせねば!
義経に 髪を埋める 皆鶴姫

平安の京
許されぬ恋の末、引き離された二人
義経は平泉へ、そして姫は罰を受け、ウツボ船で流されます。
ウツボ船とは、窓も戸もない密閉された舟。
閉じ込められた姫は京から川で海へ、
そして黒潮に乗り、長い年月を経て気仙沼へ。
そのときには既にこの世の人ではありませんでした。
雅な女性の亡骸が流れ着いたと耳にした義経は
浜に駆けつけますが時遅く、
変わり果てた姫を抱いて
ただ、号泣するしかなかったのです。
気仙沼市役所には
市民の方が作った
この物語の素晴らしい人形があります

南三陸町歌津地区
奇跡的に津波に耐え残った「ウタちゃんはし」
しかし今、この橋を渡る人はいない
ここにあった集落は、もう無いのだから
2002年にこのあたりに現れたアザラシの子
いつかここへ戻ってくるのだろうか
そのときには、この街も復活しているのだろうか
(2016年3月11日)

あの日から5年
あまりにも静かな夜明け
海は何も語らない

漁師はただ淡々と生業に励む
今日も、明日も、
2016年3月11日
宮城県南三陸町にて
南三陸町

はからずも、この町の名を全国に知らしめた防災対策庁舎
最後まで住民に避難を呼びかけ、そして流された殉職者たち
想像を絶する津波は
この庁舎の屋上をも越える高さだった
2011年以後、
巡礼者の尽きることない聖地であり、
東日本大震災の記憶を後世に伝えるモニュメントの役割も果たし続けてきたが、
周りの土地の嵩上げが進み、遂に、フェンスで囲われてしまった。
2016年4月以降は当分の間、近づくことも出来なくなるという。
生まれ変わった女川駅前。

商業地区は、ミニショッピングモールのように立派です。

センスの良いカフェや、ここにしかないクラフトの店もあります。

そして、あの有名なダンボルギーニも、ココにあります☆
女川町
役場を含めて壊滅的な被害を受けた町

慰霊碑では、今日も僧侶が読経を続ける

津波到達点にあるモニュメント
中学生たちが募金を集めて建立したという
刻まれているのは、千年先の子孫たちへのメッセージ
ここは津波が到達した地点です
もし大きな地震が起きたら
この石碑より上へ逃げてください
逃げない人がいても、ここまで
無理矢理にでも連れ出してください
家に戻ろうとしている人がいれば
絶対に引き止めてください
宇宙的視点から、この星の、いのちの美しさを体感しつつ、ひとつの星で共生するという新しい価値観に基づいた文化交流で、世界を一つに繋いでゆきます。