2015年8月25日
福島県 楢葉町を訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。
この町は、福島第一原発から一六キロで、住民のほとんどは避難生活を強いられていますが、今年から徐々に避難命令が解除されていきます。
そしてこの町には、あまり知られていない福島第二原発があります。
第二原発もやはり、震災直後、メルトダウンの危機にさらされていましたが、技術者たちの勇気ある働きで、破局のわずか2時間前に冷却停止することが出来たそうです。
そこには町を守るたいへんな努力があったにちがいありません。
この町に、きぼうの桜を咲かせたいと、決意を新たにしました。
2015年8月25日
福島県 広野町を訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。
この町は、福島第一原発から二〇キロ圏内にかかっており、5000人いた住民の半分以上が、避難したまま帰宅できないという、たいへんな状態が続いています。
ふるさと納税を三万円すると、コシヒカリが一俵(60kg)も貰える、ということで話題になりましたが、そうしなければならないほど、風評被害も深刻なのです。
この町に、きぼうの桜が咲くのはいつの日でしょうか。
2015年8月24日
福島県南相馬市を訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。
南相馬市は原発20キロ圏に入るため、津波の後も、辛い避難生活が続きました。
しかし千年続いてきた野馬追い祭は2011年にも堂々と開催されたのです。この町の住民は今でもサムライ魂を失っていないのです。
ところで、この町には奇跡の一本松があります。
陸前高田のそれがあまりにも有名ですが、この町の松も同じように、ただ一本、津波に耐えて残り、生き続けたのです。
なぜか報道のスポットが当たらなかったせいか、あまり有名ではありませんね。
この町にきぼうの桜が咲くのはいつの日でしょうか。
2015年8月24日
福島県新地町を訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。
新地町は、福島浜通り最北端の町で、キャラは「しんちゃん」だそうです。
自慢の農産物はイチジクと林檎、ニラなど
伝説によると、町の鎮守・鹿狼山には手長明神が住んでいて、長い手を伸ばして海から貝を捕って食べていたそうです。そのせいか? この町には貝塚があります。なにやら不思議なパワーがありそうな地ですね。
この町にきぼうの桜が咲くのはいつの日でしょうか。
2015年8月21日
宮城県亘理町と山元町を相次いで訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。
これらの町の名前をご存じの方は、どれくらいいらっしゃるでしょうか? 宮城県南部の海岸の町です。
この二町とも平地が多かったため、庁舎が津波に流され、いまだに仮設庁舎でがんばっています。
住宅の復旧が優先されるため、庁舎が建て直されるのは、平成30年頃の予定だそうです。
町の特産物はイチゴ、りんご、ホッキ貝、シャコなど。
ゆるやかに、震災の傷跡から立ち直っています。
これらの町にも、きぼうの桜が咲き誇る日はそう遠くないでしょう。
2015年8月21日
宮城県七ヶ浜を訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。
七ヶ浜は松島湾に突き出た半島の町で、面積は、東北一小さいそうです。七つあると言われる砂浜と丘陵の美しい町。
伊達政宗公が、津波から人々を守るために推進した黒松の植樹は、この町から始まって南下していくのです。
そして平成の大津波。必死に闘った黒松林の姿は、今でも生々しく残されています。
どうでしょう、生き残った松の木の勇ましさ!
2015年8月20日
宮城県岩沼市を訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。
岩沼市は、古くから交通の要衝として栄えた町です。
東日本大震災でも大きな被害を受けましたが、
浜辺には、津波に耐えて生き続ける「奇跡のイチョウ」もあります。
2015年8月20日
宮城県多賀城市を訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。
多賀城といえば、奈良時代より、朝廷の拠点として有名ですね(南の太宰府、北の多賀城)。
また、歌枕としてあまりにも有名な、末の松山が現存します。
契りきな かたみに袖をしぼりつつ
末(すゑ)の松山 波越さじとは
清少納言のお父さんである、清原元輔さんの歌ですね
平安の昔より、津波はこの松を越えられないのです。
2015年8月20日
宮城県塩竃市を訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。
塩竃の美しい浜は、平安の都人にとって、遠い憧れの地だったそうです
詳しくは ↓
地球讃歌、浜で美しきシオガマ
奥州一宮・塩竈神社には「シオガマザクラ」という特別な桜の木もありますし、水産業では、秋の生マグロが有名ですね。
2015年8月20日
宮城県利府町を訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。
利府町は仙台の大ベッドタウンでもあり、遠方からも目立つ巨大なスポーツ施設「グランディ21」などもありますが、森に恵まれた自然豊かな町です。
このあたりで作られていた菅の敷物は、十符の菅薦(トフノスゲコモ)として、歌枕にもなっていたそうです。
現在は、菅ではなく、梨の名産地になっています。
宇宙的視点から、この星の、いのちの美しさを体感しつつ、ひとつの星で共生するという新しい価値観に基づいた文化交流で、世界を一つに繋いでゆきます。