2016年2月3日
岩手県洋野町を訪問し、下川原康文副町長と、きぼうの桜計画の詳細を話し合いました。
(右)下川原康文副町長
この町は既に、きぼうの桜計画の実行が決まっていますが、植樹場所については入念に議論を続けてきました。
まだ公表できませんが、秘策を練っていますので、
数十年後には、きっと驚くべき景観になっているでしょう。
この町の背後の山稜は、「海成段丘」という珍しい地形になっており、「三陸ジオパーク」の一部です。
http://sanriku-geo.com/
その段の上には広大な牧野が広がっており、この時期はもちろん大雪原です。
さぞや星が綺麗だろうと思いきや、ありました! 銀の天文ドーム。
「ひろのまきば天文台」
この斜面が緑に彩られるとき、巨桜が咲き誇る。
夜は何億光年の星々の光が、音もなく大地に吸い込まれていく・・・
そんな情景を想像したくなりますね。
(右)普代村 柾屋伸夫村長
岩手県普代村に、きぼうの桜計画が採択されました。
2016年2月2日、
ワンアース代表理事の長谷川洋一が柾屋伸夫村長をたずね、
きぼうの桜計画の、詳細な実施方針を話し合いました。
この村は、津波から人々の命を守った大水門で有名です。
明治29年、昭和8年と大津波で甚大な被害を経験した普代村では、その後、水門の建設が進められました。
当時の和村幸得村長が主張した15.5メートルというスペックは、有り得ない高さに思われ、「税金の無駄遣いだ」と、国からも村人からも批判を浴びました。
しかし村長は頑として譲らず、工事を押し通したのです。
このとき村長の脳裏には、明治の大津波の、波高15.2メートルという数字があったからです。
そして2011年3月11日。
波高23.6メートル
千年に一度と言われる巨大津波は、この大水門さえ軽々と乗り越えて村を襲ったのです。しかし大水門が大部分のエネルギーを受け止めてくれたおかげで被害は抑えられ、死者ゼロ、行方不明1に踏みとどまりました。
「二度あったことは三度あってはならない」
批判を浴びながらも信念を通し、村を救った20世紀のサムライたちを、私たちは忘れてはなりません。
そして今、31世紀の子孫たちを守るために、普代村の皆さまは、きぼうの桜計画を進めていくことになりました。
2016年2月1日
岩手県野田村を訪問し、
小田祐士村長はじめ、主だった方々と、きぼうの桜計画の進め方について話し合いました。
(右)小田祐士村長
この村では、現在大堤防の工事中です。
従来も、コンクリートの堤防がありましたが、3.11の津波の第一波でいともあっさり破壊されてしまいました。それを村人たちはまざまざと見ています。
そこで復興計画では、コンクリートの第一防壁と第二防壁の国道だけでなく、第三防壁の嵩上げ緑地を、土盛りで作り上げ、人はその内側に住むことにしたそうです。第三防壁になる緑地は、広大な都市公園として、豊かな緑の景観を作り出すことでしょう。
野田村の産業としては、釜炊きで作る海の塩「のだじお」が大昔から有名ですが、これからは新しい特産物の開発も重要と考え、山葡萄のワイナリー建設などにも意欲的に取り組んでいます。
自然との共生の中で育まれた人情あふれる北の村。
あの西行も、この地を愛し、長期滞在したそうです(この土地の才女と歌合戦をして敗れ、逃げ出した、というオチがありますが)。
さあ、宇宙桜はどこに植えましょうか?
醍醐桜で、愉快な仲間たちに出会いました。
遊劇旅団
岡山の観光名所でダンスして、地元を盛り上げようという若者たちです。
雪の中でも大はしゃぎ☆
下記、動画も見てあげてくださいね
遊劇旅団のチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCv5tf4ocd4w5r9uAEON_Xxw
ワンアースは、地域に根付いた文化集団を応援します!
京都桜守・十六代目佐野藤右衛門さんは、人間国宝のような方です。
2016年1月23日(土) かねてからのお願いが叶い、
醍醐桜(岡山県真庭市)を診ていただきました。
醍醐桜は樹齢千年といわれる本邦屈指の名桜ですが、ここ数年、急に花付きが悪くなり、地元真庭市でもたいへん心配されていました。
京都から車でいらした藤右衛門先生、まず木槌を取り出しました
コツコツと優しく幹を叩いて耳を澄ませます。
まるで大桜と対話しているようでした。
「ここは空洞や」「あ、ここは元気や」
どうやら幹の中は部分的に朽ちて空洞になっているようですが、元気な維管束もたくさん残っているようでした。
「胴吹きしてますやろ? 桜がまだまだ生きようとしている証や」
次に先生は注射器を取り出しました。
桜に注射ですか???
桜に注射? 煙の行方で樹の健康診断ができる!
なんと注射器に煙草の煙を吹き込みました。
そして、針先を木の皮の隙間に差し込むと、ピストンを押します。
中がしっかりしていると、煙は跳ね返ってきますが、皮の中がスカスカに朽ちていると、煙は離れたところから出てきます。
左・NPO醍醐桜未来プロジェクトの春木基男理事長 右・佐野藤右衛門先生
こうやって診断が終わりました。
「まだまだ大丈夫や。二百年でも三百年でも生きられるで」
と、心強いお言葉を戴きました。
ただ、支柱が多すぎること、特に鉄の支柱やワイヤーが、枝や幹に食い込んで、そこから樹が腐ることが心配だそうです。
人は、今の形を維持したいあまり、支柱を立てたり、彦生え(根元から出る新しい枝)を払ったりしたくなりますが、本当は何もしないのが一番だそうです。
不要な枝は折れ、また新しい枝が生えて、樹は自ら形を作っていく。
それが「最強」のエドヒガンザクラの力なのかもしれません。
2008年に宇宙フライトした三春滝桜の種を集めてくれた桜中学校。
2013年に廃校になってしまいましたが、なんと!アニメのテーマパークとして生まれ変わりました。
三春ガイナックス 福島さくら遊学舎
http://fukushimagainax.co.jp/?page_id=2
これは凄い☆アニメファンにはたまらない空間ですね!
桜中学を含め、付近の四中学校は合併し、2013年に、新生・三春町立三春中学校として誕生しました。
宇宙桜はいずこに?
ありました。桜中学校に植えられていたのです。
学校は、関係者以外立ち入り禁止ですが、宇宙桜はフェンス近くに植えられているので、三春町運動公園の大駐車場からも見ることが出来ます。
鈴木義孝・三春町長(右)とワンアース長谷川代表
2016年1月20日、ワンアースは、三春滝桜の里、福島県三春町に鈴木義孝町長を訪問し、今後の宇宙桜苗の贈呈計画に関する詳細をお願いいたしました。
まだどの町に贈るかは未定ですが、東北沿岸に、巨大な滝桜の子孫が屹立する姿を想像すると、夢のようですね。
三春町には津波は来ませんでしたが、原発事故の影響はいまだ残っています。
富岡町や葛尾村などから避難してきた多くの人々は、未だに帰還出来ず、三春町に仮住まいしています。
東日本大震災の最後の課題ともいえる原発事故。
この問題と闘いながらも、津波被害を受けた地域にきぼうの桜を贈ろうという三春町の姿は感動的ではありませんか。
追伸・その後、宇宙滝桜の若木は岩手県釜石市に贈呈されることになり、世界遺産・橋野鉄鉱山に植樹されました(2018年4月)コチラから詳細をご覧ください
2016年1月20日
福島でもかなり雪が降ったので、三春滝桜が気になって来てみました。
桜はもちろん無事です。
「伊達に1,000年生きちゃあいないぜ」、と言うかのように、平然と立っています。
恐れ入りました!
桜の体温で枝の雪は溶け、花芽がたくさん見えています
この春が楽しみですね。
2016年1月19日
福島県楢葉町を訪問し、きぼうの桜計画に関する調整を行いました。
この町ではまだ、きぼうの桜計画の公式な決定には至っていませんが、役場での話し合いのあと、天神岬公園を案内していただきました。
天神岬は、太平洋が一望できる高台で、松風も爽やかな芝生の広場になっています。その芝生に点在するように見えるのが、弥生時代の集団墓の跡で、出土した甕棺などは、日本屈指の貴重な文化財なのです。
ここで人々の集落が繁栄していた2000年前といえば、ちょうど、
日本武尊が山梨県北杜市に、山高神代桜を植えたころですね。
2015年12月、震災で亡くなった尊き犠牲者の名を刻んだモニュメントが、この岬に建立されました。
モニュメントからは、津波に洗われてなにもかも無くなってしまった旧市街地が見下ろせます。
ガラスで出来たモニュメントは、悲しいまでに透き通る空を映していました。
さあ、ここに桜を植えよう!
次の二千年生き続けるような桜を
四十一世紀の子孫たちのために
2016年1月18日
福島県広野町にある、県立ふたば未来学園高等学校を訪問しました。
福島県浜通り双葉郡(広野町 楢葉町 富岡町 川内村 大熊町 双葉町 浪江町 葛尾村)には5つの高校がありましたが、原発事故の影響で、一時は全て休校になってしまいました。
避難を余儀なくされた若者たちは、遠方の高校へ通学しなければならず、若者の流出も懸念されていました。
そんな中、多くの有力な応援団に支えられ、2015年春、ふたば未来学園高校が誕生したのです。
雪降る中、傘も差さずに笑顔で初登校してくる生徒たちの姿がテレビでも話題になりましたね。
ワンアースでは、この学校に、きぼうの桜を植える提案をしています。
実現するかどうかは未定ですが、きっと植樹を成功させたいと考えています。
生まれたばかりの学校・ふたば未来学園高校には、まだ1年生しかいませんが、生徒たちは明るく礼儀正しく、まさに未来への再生の雰囲気に満ちていました。
宇宙的視点から、この星の、いのちの美しさを体感しつつ、ひとつの星で共生するという新しい価値観に基づいた文化交流で、世界を一つに繋いでゆきます。