2015年8月21日
宮城県七ヶ浜を訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。

七ヶ浜は松島湾に突き出た半島の町で、面積は、東北一小さいそうです。七つあると言われる砂浜と丘陵の美しい町。
伊達政宗公が、津波から人々を守るために推進した黒松の植樹は、この町から始まって南下していくのです。

そして平成の大津波。必死に闘った黒松林の姿は、今でも生々しく残されています。
どうでしょう、生き残った松の木の勇ましさ!
2015年8月20日
宮城県岩沼市を訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。

岩沼市は、古くから交通の要衝として栄えた町です。
東日本大震災でも大きな被害を受けましたが、
浜辺には、津波に耐えて生き続ける「奇跡のイチョウ」もあります。
2015年8月20日
宮城県多賀城市を訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。

多賀城といえば、奈良時代より、朝廷の拠点として有名ですね(南の太宰府、北の多賀城)。
また、歌枕としてあまりにも有名な、末の松山が現存します。

契りきな かたみに袖をしぼりつつ
末(すゑ)の松山 波越さじとは
清少納言のお父さんである、清原元輔さんの歌ですね
平安の昔より、津波はこの松を越えられないのです。
2015年8月20日
宮城県塩竃市を訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。

塩竃の美しい浜は、平安の都人にとって、遠い憧れの地だったそうです
詳しくは ↓
地球讃歌、浜で美しきシオガマ
奥州一宮・塩竈神社には「シオガマザクラ」という特別な桜の木もありますし、水産業では、秋の生マグロが有名ですね。

2015年8月20日
宮城県利府町を訪問し、きぼうの桜計画を説明いたしました。

利府町は仙台の大ベッドタウンでもあり、遠方からも目立つ巨大なスポーツ施設「グランディ21」などもありますが、森に恵まれた自然豊かな町です。
このあたりで作られていた菅の敷物は、十符の菅薦(トフノスゲコモ)として、歌枕にもなっていたそうです。
現在は、菅ではなく、梨の名産地になっています。

盛夏の隙間に初秋アリ 岩の狭間にコメススキ
夏雲のその奥に目を凝らせば
あまりにも深い次の季節が待っている
コメススキ
どこにでもありそうな雑草に見えますが、これも高山植物。
早池峰山の岩場で撮ったものです
by 谷山稜

弾ける喜びのような その姿
イブキジャコウソウ
高山から低山まで
実は日本中の山々に広く分布する
とってもタフな子
そう思って見ると、
ますます笑顔が弾ける
あ、伝染した。。。

イブキジャコウソウ(シソ科)
早池峰山(岩手県)5合目あたり
by 谷山稜
2015年8月19日
宮城県女川町を訪問し、きぼうの桜計画を説明しました。

この町は、ビルに突き刺さった車等々で有名になった感がありますが、名物は秋のサンマや養殖の銀鮭です。
ところでこの町にも原発がありますが、あまり話題になりませんでしたね。理由は、事故が起こらなかったからです。
それではなぜ女川原発は無事だったのでしょうか?
理由は明らかです。
女川町原発は、14.8メートル嵩上げされていました。
今回の津波は13メートルでしたが、地震による地盤沈下が1メートルありましたので、80センチの僅差で耐えたのです。それでも引き波で取水口が露出して、かなりピンチだったそうです。
このような教訓を、電力会社の枠を越えて共有(水平展開)すべきですね。

2015年8月13日
仙台市役所を訪問し、きぼうの桜計画を説明しました。

100万都市である仙台市にも海岸線があり、3.11の津波では、若林区、宮城野区などに大きな被害が出てしまいました。
今後、津波に負けない町作りをするために、まず海岸沿いに7.2mの堤防を築き、その内側に6mの嵩上げ道路(堤防相当)を通す二重防護の計画です。
二つの堤防の間は非居住区とし、緑地化する予定だそうです。
ここに桜の名所が誕生する可能性がありますね。
宇宙桜を採用するかどうかは今後の検討次第です。
2015年8月11日

30年を迎える日航機墜落事故(1985年8月12日)ですが
ワンアースは、空の安全を願い、御巣鷹山に慰霊登山するとともに、8月11日に行われた灯籠流しにも参加させていただきました。
ご遺族の方々も、支える地域やボランティアの方々も、日航機事故だけでなく全世界で起こっている災害や事故を悼み、また、そのような不幸が繰り返されぬよう祈りを込めて灯籠を流しました。

尾根の上の昇魂の碑には、
人々の願いを込めた短冊が揺れていました

30年経っても消えないU字溝(機長の墓標付近から)
ジャンボ機はあそこでバウンドし、この尾根に激突したのです

30年前、焦土と化した墜落現場の山腹
時を経て、みずみずしい森が蘇っています
宇宙的視点から、この星の、いのちの美しさを体感しつつ、ひとつの星で共生するという新しい価値観に基づいた文化交流で、世界を一つに繋いでゆきます。