2015年10月21-22日
宮城県気仙沼市を訪問しました。
気仙沼の港からフェリーに乗って行く大島に、
実はすでに宇宙桜が植えられています。
大島は、渚の美しい島
そして、人間味溢れる島人たちが待っています。
きぼうの桜1号
2012年春に、高知県仁淀川町から贈呈された、宇宙ひょうたん桜
樹齢4年にして、なんと5メートルの高さに成長しています。
幹はすでに十センチを超える太さ。
止まらない樹勢は、
きぼうの桜の未来を告げています。
2015年10月20日
宮城県石巻市を訪問しました。
石巻市は、東日本大震災での被害が特に大きかった町です。
市街の高台である日和山(ひよりやま)公園には、多くの人が避難しましたが、目の前の恐ろしい光景に、「なにこれ」という言葉しか出なかったと言われています。
牡鹿半島の先端には「三陸復興国立公園」の標柱が立ち、海を隔てて金華山がよく見えます。
あの日、津波が来る直前の引き波で、金華山と本土を隔てる海底が露出したと言われています。
まさにギリギリのところで生きた、杜泉さんの貴重な記録を見てみましょう
http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/34375390.html
石巻市では、きぼうの桜計画を進めることが決まっていますが、どこにいつ植えるかは、まだ検討中です。
素晴らしいプランを考えたいと思います。
宮城県庁を訪問し、きぼうの桜計画の状況について報告いたしました。
東日本大震災で犠牲になった方々の過半数は宮城県なのです。
県内ではどの市町村も大被害を受けていますが、
最北端の気仙沼市には、すでにきぼうの桜が植えられています。
元気に育っています。これは2015年の事実です。
これからも、きぼうの桜を植え継いでいき、宮城を希望の里にしたい。
そして、桜と共に、津波のことを伝承するしくみを創りたい。
ワンアースはそれを目指して活動していきます。
風化の危機が叫ばれますが、風化はどうしても避けられません
そのかわりに何を残すか、私たちが取り組むべきことは、それです。
決してコンクリートの堤防ではありません!
ワンアースは、
千年残る宇宙桜、そしてそれにまつわる伝承と伝説を残すため
力の限り活動していきます。
2015年10月19日
宮城県利府町を訪問し、きぼうの桜計画について調整しました。
この町では、宇宙桜の植樹を実施する前提で、いつ、どこに植えるかについて、最適な計画を練っています。
利府町といえば、梨の町ですが、巨大な運動公園(コンサート会場にもなる)である「グランディ21」があることでも有名ですね。高台に聳え立つこの巨大アリーナは、仙台平野のどこからでも遠望できますが、宇宙から見ると、伊達政宗の兜の三日月型が組み合わさっているように見えるそうですよ!
さて、この町では、避難にも使える新しい道路や、新しい避難所の準備が進行中です。
生まれ変わる町の完成に合わせて、きぼうの桜を植えることになるでしょう。
今後の素晴らしい計画に御期待ください。
2015年10月19日、仙台市
四国八十八カ所は、人生のどこかの段階で、誰もが一度は憧れる道。
東日本大震災を機に、東北六県にも八十八カ所の巡礼路を創出する遠大なプロジェクトが動き出しました。
推進しているのは、一般社団法人みちのく巡礼
この日、当財団・長谷川洋一代表理事が、みちのく巡礼の櫻井史朗理事長と懇談し、今後の相互協力の可能性を話し合いました。
みちのく巡礼が推進するのは、東北六県のお寺を繋ぐ遍路の創造と、大震災の記録。
特に、人々の命と直接向き合ってきた、被災寺の御住職たちのお話を集め、映像記録として後世に残していきます。
3.11のその日、金華山にいて巨大津波に呑み込まれそうになった記憶も生々しい櫻井理事長は、「あのとき自分は生かされた。そして、使命が与えられた」と語っています。
櫻井理事長の語る、あの日のこと
超大型台風がかすめる中、岩手県北部中部の市町村を巡業し、きぼうの桜計画について話し合いました。
洋野町、久慈市、野田村、普代村、田野畑村、岩泉町、宮古市、山田町、大槌町、釜石市
このうち、洋野町、田野畑村、そして釜石市では、すでに植樹場所を検討し始めています。
岩手北部はリアス地形が著しく、やはり、みなさんの生活を支えるのは漁業です。
夏は、ウニ、ホヤ、アワビ、ホタテなどが盛りだくさん。秋にはサンマが美味しいですし、山では松茸が採れます。しかし、2015年の夏は天候不順で海が荒れ、定置網が流されるなど、漁師さんたちにとっては苦難続きだったようです。
写真は、リアスのど真ん中、田野畑村のホテル羅賀荘。村の人々にとっては重要な職場でもあります。
この大きな建物の3階まで津波が来たそうです。
気候変動は実に気まぐれ。地球時間で考えれば一年二年など、瞬きのようなのかもしれません。
きぼうの桜計画は、千年事業として、単なる桜の植樹に終わらず、子孫に意味のある文化や伝承を残していきたいと考えています。
そしていつか、宇宙から見えるような巨桜の砲列が出来上がるのです。